私のコーヒー物語 第一話
                       吉玉誠一

 今から20年前、徳之島に来て2年目のこと、コーヒーを
求めて沖縄、西表島まで旅をしましたが見つからず、諦めて
帰島したら奄美大島の友人より、宇倹島に1本親木があり、
その木の下には小さな苗木がある、との連絡を受け、喜び
勇んで行ってきました。
 菓子折りと酒一本で100本程度譲り受け、伊仙町の
青年団の若者と試験栽培に入り、私が30本程育てました。
海岸近くは潮風で全部やられ、内陸部のみが残り、それこそ
大切に大切に育てました。
 嬉しかったのは本植4年目で真っ白な花がチラホラ咲き、
その年に初めて実を付けてくれたことです。
 当時、コーヒー栽培は誰もやってなく、参考になる本すら
なかった時代でした。文字通り手探りの状態でしたが、幸い
かな、気候的に島にあったようで、5年目から全部の木に花が
付きジャスミンに似たかおりが漂い、ほんとにきれいでした。
 私がコーヒーに惹かれたのは、若い頃にブラジル移民になり
たいと思いつつ、親の反対で果たせなかった思いと、南に行って、
南の作物を栽培する百姓になりたいとの思いがあり、永年の
大阪暮らしにピリオドを打ち、徳之島へ来ることになったときから
その夢を実現しようと決意しました。

 コーヒーの木を求めて3年、80kmの旅をして求めたのが
アラビカ種ブラジル。育てている間、実子の乾燥、焙煎は名瀬市
の「アラジン」という自家焙煎珈琲店オーナー永田君(07逝去)
の厳しい指導で、何とかやってこれました。
 彼が居なければ徳之島コーヒーは存在しなかっただろうと思います。
ブラジルは高木系で島には合わないのではと思いつつ、木が可愛くて
手にかけることも出来ず今日に至りました。悲しかったのは12年前
借りていた畑が畑地の区画整理に入り、コーヒーを泣く泣く移植せざる
を得なかった時でした。
今でも思い出します。私にもコーヒーにも大変なときでした。

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